石鎚古道をゆく(5)

石鎚古道をゆく(5)の画像
とき 2019年10月22日(火)

石鎚古道をゆく(5

第9四手坂(しでざか)王子社から第10二之王子社まで

   第8黒川王子社から今宮本道を登ること10分足らず。石垣のみ残る屋敷跡の庭先を抜け、これからしばらくの間、本道を離れ王子道を登ります。この本道との分岐点に、古くは五、六軒の人家があって、お山開きの間は、お山名物のトコロテンやアメ湯を売ったりする休憩所になっていました。
  石垣の残る屋敷の当主は、代々「太郎左右衛門」を襲名した四手坂の藤原家で、役行者(えんのぎょうじゃ)の石鎚山開山説話にもその名前が登場します。

 

   さて、これから暫く辿る王子道は「道」といっても、道らしきはありません。尾根や杣道(そまみち)を辺りの風景や所々に付けられた「王子道」の小型プレートを頼りに杉、桧の林をひたすら登り進みます。二、三度巡っただけなら道に迷うこと必至です。

  太郎左右衛門の屋敷跡を越えてすぐのところに地蔵堂があり、今も建物はなんとか原形を留めています。そして第9四手坂王子社の祠もお堂の側に寄り添っています。かつて、今宮集落に住む人達は、旧盆になると地蔵堂の境内で夜を徹して盆踊りを躍ったそうです。

   その昔は、この地蔵堂もさらに上方の杜に在り「権現堂」と呼ばれ、境内は女人禁制でした。明治初年の神仏分離までは、三月三日(旧暦)になると四国霊場第六十四番札所「前神寺」の上人が権現堂に来堂。石鎚大権現門開(かどあけ)祭を執行していました。そして、その時の常宿は太郎左右衛門宅で、上人がここに来るにも、またこれから山頂へ向かうにも、刀持ちとして道中の随行奉仕をしたとのことです。

   杉林の急坂を登り、二之王子社へ向かう尾根を目指します。この辺りの坂が四つん這いになって登る程急峻なので「四手坂」と名付けられたとか。尾根に出ると黒川谷からの風が実に心地よく、杉から雑木に換わった明るい林にツクツク法師が大合唱しています。こんなツクツク法師の合唱を耳にしたのは何十年振りでしょう・・・。

 

   蝉の声に一人感動を覚えながら、第10二之王子社に到着。標高も上がり、涼しい風もあるので休むとすぐに汗がひきます。気持ちいい!!以前は、この尾根からも黒川集落や眼下には三碧峡も望めたようですが、今は雑木が繁茂して視界は開けていません。山頂へと続く36の王子社は、それぞれが修行の場であったり、絶景の場所であったりもするわけですが、こうして自然のなかに身を置いていると様々な気付きや普段考えもしないことに思いを馳せたりします。修験者が、山中に心身を置く場を求めたのがなんとなく解るような気がします。 

   
  もっとも私の場合、その思いに高尚なものはなく・・・、たとえば今鳴いているツクツク法師。「たしか、ウグイスのホーホケキョ!は、求愛だったよなー、で、ケキョ・ケキョ・ケキョー、と鳴くときは、テリトリーに入ったオスを牽制する時の鳴き声・・・。じゃあ、ツクツク法師の、ツクツク・・オーシン・ツクツク?・・・これも何か意味があるのかなあ~」と、大の大人がこのレベルです(笑)。いずれにしても、自然のなかでは、それぞれに何かの気付きがあるようです。

 ―続くー

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ