石鎚古道をゆく(2)

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とき 2019年8月10日(土)

石鎚古道をゆく(2)

☆黒瀬ダムから、旧大保木(おおふき)小学校まで☆

 国道11号線を西条市氷見から標識に従い、県道12号線に入り、石鎚登山ロープウェイ方向に進むと車だと10分程で黒瀬ダム湖が正面に顔を出します。更に石鎚山を目指して右にルートを辿ると、現在ほとんどの石鎚登山の人々が利用する西之川のロープウェイ下谷駅へ。

 でも今日は、この黒瀬ダム湖を眼下に見下ろす四国霊場第60番札所・横峰寺登山口のバス停付近で車を下り、県道よりは北側の山間にある石鎚山36王子社古道にいよいよ1歩を踏み入れていこうと思います。

 天気は快晴!春霞・・・、ダム湖に石鎚山頂へと続く山々のシルエットが優しく映えています。目の前を少し肌寒い山里の風に桜の花びらが舞っていきました。

・・・気持ちいい!!大きく深呼吸をして県道を離れ、右にルートをとるとすぐにお遍路さんもよく利用する京屋旅館さんが見えてきます。まだ朝早いこともあってか、駐車場には白衣の女性お遍路さんの姿のみ。

横峰寺行の乗り合いバスの事務所で、窓口のおじさんにお遍路さんについて尋ねると「お遍路さんは3月の彼岸を過ぎて4月、5月が一番多いね。でも今年はちょっと出足が遅いようやねぇ」とのこと。で、おじさん「これから歩くの?」白装束ではないものの、そんな質問をしたもので、お遍路さんに間違えられたみたい。「はい!歩きます!」と(笑)。目的地は違うものの歩くことには違いなく、事務所を後に、そこからすぐ近くにある大銀杏脇の「第1福王子社」に向かいました。

この王子社は、西条市黒瀬字上野原にあり、簡素な木の祠に石の地蔵が安置されています。自動車道沿いにあり、横峰寺登山口でもあるためか、お参りする人も多いことが供えられたシキビの本数から覗えます。

資料によると、昔、石仙(しゃくせん)高僧が、石鎚山に登山しようとして、この所に来て遙かに石鎚山を拝んで一夜を野宿。その時福の神が現れ、石仙高僧の心願が叶うであろうことを示され、石仙はここで一心に祈願したとのこと。後に福の神の「福」の字をとって「福王子社」と名付けられたそうです。私達も、石鎚山の古道に祀る36の全ての王子社を無事に巡ることができるよう手を合わせました。

 

ダム湖を左に、野イチゴの可憐な白い花や山吹、菜の花の黄色、そして時折舞い落ちてくる桜の花びらに心地よく横峰寺へと通じる舗装道を歩くこと15分。ちょっとした峠に鉄製の古びた高さ3メートルにも満たない鳥居があります。かつては、この鳥居から「七曲がり」と呼ばれる山の急斜面を下り、第2王子社へ向かったのですが、平成16年の台風で古道もろとも山肌が崩壊。残念ながら、今は横峰寺へと続く舗装道を辿り、途中で大保木にある極楽寺方面へと林道を縫い、石鎚山頂を目指します。

 

・・・しかし、自然のなかに心身を置くと心地良い!同行のスタッフと山里の淡い緑の空気を満喫しながら、ウグイスの鳴き声や小川のせせらぎに足取りも軽く、第1福王子社を発ってから約1時間半、第2桧(ひのき)王子社に到着しました。

この王子社は、大保木字大桧にあり、江戸時代にかの左甚五郎が石鎚山の成就社本殿の建築を終え、用材の桧を杖にしてここまで下山。休憩後、ここにその杖を突き立てて後にしたところ、その杖が芽を出し成長。直径2メートルにもなったといわれ、いつの頃か伐採された切り株が、昭和46年頃まで残っていたとのことです。しかもその杖は逆杖だったため、木の枝は全て逆枝だったと・・・。こんな話も「へぇ~!」と素直に感嘆できるのは、自然のなかに居るからなのか?           桧王子社にも石の地蔵が祀られ、福王子社と同じく簡素な木の祠に納まり、境内入り口には、明治23年に天下泰平と村内安全を祈って「光明真言」が、百万編奉誦されたことを記す石碑が建てられていました。

     

 杉林、竹藪、石垣に山家、ミツバチの巣箱・・・古道沿いの何気ない景色から、私も子供の頃過ごした山里での暮らしが、鮮明に蘇ってきます。舗装道を離れ、小さな段々畑の脇から杉林のなかを5分程、昭和60年に閉校された大保木小学校に到着です。

 

昭和45年に西条市の天然記念物に指定された大桜の古木が、青空の下その花を満開にして私達を迎えてくれました!今も小さな木造校舎と校庭には、鉄棒や朝礼台などが残され、往時の子供達のはしゃぐ様子が伝わってきそうです。

 

そしてその正門には、多分・・・卒業生が思いを込めて、今に塗り重ねたのであろう「西条市立大保木小学校」のペンキの白文字が、誇らしく鮮やかに輝いていました。    ―続くー
(画像/過年4月9日撮影 文責 事務局長 曽我部英司)

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