石鎚古道を行く-1

石鎚古道を行く-1の画像
とき 2019年8月7日(水)

※今回から数回に亘り、かつて某新聞折込み紙面に連載させて頂いた、石鎚の古道に関する記事を一部リライトしてご紹介させて頂きます。お目通し頂けましたら幸いです。またひとつ新たな石鎚山が見えてくるかもしれません・・・。

石鎚古道をゆく(1)

・・プロローグ・・

毎月登る石鎚山、西条市の西之川から登山ロープウェイを利用すると7分ちょっとで山頂成就駅。そこから徒歩で20~30分、標高1450㍍、7合目の成就に到着します。ここから山頂へは往復5時間、現在県内四国はもとより遠く広島、岡山よりも日帰りができる西日本最高峰です。

ちなみに、ロープウェイの下谷駅の標高が455メートル。考えてみると成就までの標高差1000㍍は、30分程歩けば達成できるのですね。

石鎚山に限ったことではないですが、西日本最高峰も身近になったものです。ブナやミズナラに覆われる7合目の成就から山頂へ続く登山道も、四季折々に風情があり、額に汗をしながらの登山中、足元のリンドウやニオイスミレの花にホッと心安らぐのは私だけではないでしょう。なんでも、石鎚山の植物の垂直分布は温帯から亜寒帯までが凝縮しているといわれます。つまり、麓から山頂までの往復は、四国から東北地方までを行き来することにもなるのです。

 

役小角(えんのおづぬ)によって開山された石鎚山。以来、1330余年の歳月が経ち、現在もいろいろな思いを胸にその登山道を踏み、山頂を目指す人々は後を絶ちません。何を求めて人は、石鎚山に入り何を感じるのでしょうか・・・。

平成16年に世界遺産に登録された熊野古道。実数ではないとのことですが、99の王子(熊野の神様の御子神)社がその山域に点在し、かつての熊野参詣者は、この王子社を巡りつつ旅をしたといいます。実は、我が郷土の石鎚山にも36の王子社があり、西条市内から成就経由で36番の最高峰天狗岳へとその道は結ばれています。

今回、石鎚の古道のひとつである王子道やその周辺を訪ねながら、敢えて日帰りできるその山頂を、数日かけてゆっくりと登山してみようと思います。古道を辿ることにより、またひとつ新たな石鎚山の魅力が見えてくる気がしています。

第1回目の今回は、役小角の石鎚山開山にまつわる説話を先ずご紹介しておきたいと思います。

石鎚山開山ものがたり
むかしむかし、大和(今の奈良地方)の国に役小角という偉い行者さんが住んでおった。この行者さんは大峰山や富士山で毎日修行を重ねておったが、どこかに新しい行場がないものかと常々思っておったそうな。



そんなある日、伊予の国に来たときのことじゃった。天にそびえる1つの山が目にとまり、いかにも神様の鎮まる山であろうことは直ぐに察しがついた。ここを行場に拓こうと、加茂川の川上にずんずんと分け入り、今宮という山里で一休みしておった。
すると、今宮に住む八郎兵衛、四手坂に住む太郎左衛門という村人がやって来て、話をするうちに行者さんの心に感じ入り道案内を申し出たのじゃそうな。二人して道なき道を切り開き、やっとのことで中腹の常住に辿り着いた。ここから仰ぐ山頂は更に悠然と天を指している。

それから行者さんは、常住に仮小屋を建てて、山頂を極めようと来る日も来る日も谷川で禊をし、神仏に祈りを捧げつつ行を積んでおったが、どうしても険しい岩場が続く山なので山頂に至ることができなかった。

さすがの行者さんもしかたなくあきらめて下山しようとした朝のことじゃ。突然、山頂を望むことのできる祠の前に1人の白髪の老人が現れて大きな斧を磨ぎだした。老人は熱心に斧を磨ぎ続け、やがては陽も西に沈む頃になってしもうた。不思議に思った行者さんは、どうしてそんなに磨ぐのかきいてみたのじゃそうな。すると、「この斧を磨いで1本の細い針にするつもりですじゃ・・・」と答えて、いつの間にか夕霧とともに静かに消えてしもうたんじゃと・・・。

我に返った行者さんは、これは石鎚の神様の教えだと悟り、更に修行を続け、ついには山頂に立ち、貴いお徳を積まれたそうじゃ。以来、関西第1の高峰として今日に至っておるのが石鎚山じゃと・・・。



この時の白髪の老人が石鎚の神様の化身で、山頂から成就まで下山し、遙かに山頂を見返り「我が願い成就せり。」と手を合わせたことにより、山頂を望む成就社の社を見返遙拝殿(みかえりようはいでん)といい、地名も常住から役小角の心願が叶ったことにより「成就」とよばれるようになったという。

文中にあるように、現在の成就地区はかつて「常住」とも呼ばれていた。 

文責/事務局長 曽我部英司

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ